教育の根源について

教育の根源について。

国によって伝統や文化が異なるから、
子育てや受験への考え方も違っていて当たり前だとは思います。

でも、

母から生まれて、
成長して大人になり、
人生を自分の足で歩む

というプロセスはこの地球上のどの民族も同じですよね。

「人生を自分の足で歩む」
ためには、

「成長して大人に」なっていく過程がどうであったかが
モノをいうと思うのです。

言い換えると、
何に重きを置いて大人を目指させてあげるか?

ということでしょうか。

そもそも私たち大人は「目指したくなる」存在となり得ているでしょうか?

何にも通じることですが、
目指したくなる大きな高い目標があればこそ、
それに向かって力を集中させていけるというもの。

シュタイナー教育では、
こどもに「いつかは超えたい!」と思わせる大人でありたいと考えています。

だから、
例えばこどもとお相撲を取ったとして、
わざと負けたりはしない。

何回も何十回も何百回も全力で向かっていって、
本気で取り組み、
本気で大人が負けたとき、こどもは1つのステップをクリアします。

力の問題だけではないです。

人としてどんな姿勢でいるか?
仕事への取り組みの熱意はどうか?
自分(大人)自身のことを大事にしているか?

等々。

こどもの目は節穴ではありません。

大人以上に鋭い感性で見ていますから、
表面だけの取り繕いでは間に合わないです。

でも、
それほどに大きく感じさせられる大人であれたら、
こどもがそれ以上に大きくなっていくことは確かです。

自分(大人)自身に磨きをかけていくことが
こどもの大いなる成長に一番大事なことじゃないかと
私は思う次第です。

こどもの行く先の線路を敷いてあげようと四苦八苦するのではなく、

苦労を含めて人生を慈しみ、
立ちはだかる壁を乗り越えようと努力し、
弱みすら隠すことなく、
周りの人を思いやり、
何より自分自身を大切にしている

そんな大人の姿を晒すことが一番の教育だと思えてなりません。

弱みを見せず、完璧を装う親はこどもの信頼を得ることは難しくなっていきます。

逆に、
「今日、失敗して怒られちゃったよー」と
率直に家族内で話せる親って、素敵ですよね。

こどもも、
「失敗や弱みは恥ずかしいことじゃないんだ。
家族には話しても大丈夫なんだ」
と受け取ります。

こどもが学校等で困った事態になったとき、
それが生きてくるんですね。

家族同士で支え合うって、
本来の意味はそういうことじゃないかなと思います。