こどもの喜びを先取りしていませんか?

お子さんが、
たとえば公園のターザンロープをやりたい!
と言ってトライするものの、
まだロープに飛び乗ることからできない段階だったとしたら、
あなたはそのときどんな風に対応しますか?

下記3つの中だとどれに近いですか?

1, まず抱っこしてロープにつかまらせてあげて、
その後は自分でいけそうならやらせてあげる。

2, ロープにつかまらせてあげて、
そのままだと落ちそうだと思ったらこどもを守りながら一緒に走って、
まずはターザンロープをしたいという思いを叶えてあげる。

3, 自分でできないならやるのは早いと判断し、手を貸さない。



さあ、あなたはどのタイプでしょう?


正解、というわけではありませんが、
広尾や高輪の園で一貫している考え方としては、
上記3(自分でできないならやるのは早いと判断し、手を貸さない)です。


厳しいなあ・・

と思われますか?

理由はいくつかあります。

■理由その1
大きな子がやっている姿に憧れ、
自分もやりたい!と思う意志を守り育てるため。

大きな子はできて自分はまだできない、という悔しさや憧れは、
自分で進んで努力するという行動を自然に呼び起こします。

その努力には集中力や観察力が研ぎ澄まされるという産物がもれなく付いてくる。

大人からやりなさい、努力しなさいと言われてやるのとは違って、
自分が心から何とかできるようになりたいと思うことだから、
自然に、できている子のやり方を見て(観察)、
真似をしながら何度もトライする(集中力)わけです。

これがこどもの「意志」であり、
これこそが育んであげるべき力です。

簡単に「疑似体験」で叶えてあげてしまうと、
せっかく育まれようとしていた意志の芽が摘まれてしまう。

簡単には手助けしないほうがいいと思いませんか?


■理由その2
自分の力でできたことは突発の事態に自分で対応できるから。

たとえば自分でターザンロープに飛び乗ってつかまって発進できた子は、
ほとんど途中で落ちることはありません。

ロープをしっかり握って自分を持ち上げる力があり、
しっかり握っている「手」と、乗っている「体」、支えている「足」が連携できているから。


でも抱っこして乗せてあげて、
「ほら足でロープを挟むんだよ・・」と教え、
なんとかその形にして発進させると、

途中で手が疲れたり、力が足りなくなったりして、
体も足もまだ連携できていなくて、
落ちてしまうわけです。


疑似体験のもろさですね。


木登りでも同じ。

自分で登ったら自分で降りてこれる。
でも抱っこして木の上に上げてもらったら自分で降りられない。

ということです。

だから、自分でできるのを待つことが大事なのです。


■理由その3
できたときのその大いなる喜びを味わわせてあげたいから。


何度も挑戦し、何度もできない悔しさを感じ、
何日も何週間も何ヶ月も抱き続けた「やりたい!」が
ある日叶う瞬間がやってきます。

そのときのこどもの喜び、
想像できますか?


これが本当の「成功体験」だと思うのです。


お説教も解説も何も要らない。
自分で「やったら必ずできる」ことを知っていくことができる。

こんな素晴らしい瞬間を、
大人がちょっと手助けすること(疑似体験)で奪ってしまっては申し訳ない!
・・と思いませんか?


こどもがくじけたら可哀想だから、、
と、先に成功の嬉しさを手伝って体験させてから、
今度は自分でできるようにやってごらん
という、
やり方をする人もいます。


でもそれは順番が違うと思うのです。

自分でつかみ取った成功は、
それがどんなことであっても、
本人の自信となり、大きくなった実感となり、
力強さや根気強さとして内面に蓄積されていきます。


そんなことから、
園では、
「自分でできないならやるのは早いと判断し、手を貸さない」
という考え方をしています。



いかがでしょう?

これは将来、自分の進路を決めるときにも、
精神面でこれまでの経験がものをいいます。

自分で選んだ進路は、
その途中でなにか困難が発生しても、
何らかの乗り越え策を自分でみつけることができます。

でも周囲から進められて選んだ進路に何かあると、
もうそれ以上進めなくなる。

こどもの頃の体験は、
実は単なるお遊びではなく、その子自身を構成する細胞になっていきます。


大人はどう見守るかが問われますね。


私自身も日々襟を正してこどもに向き合えるようにと心がけています。


こどもたちが大きな夢を抱き、
それに向かってまっすぐに歩んでいく力を備えていけますように!